2015年1月11日、大ファンのアコースティック・インストゥルメント・バンド“ザッハトルテ”さん
を迎え、「街のでんきやさんライブ」を開催しました。うちの店でライブ演奏をしていただくように
なって、今年ですでに4回目。今回は、“栗コーダーカルテット”などで活動されている関島岳郎さん
との共演も実現し、本当に素敵な、贅沢な時間を過ごさせていただきました。
うちの店があるのは、JR紀伊田辺駅からクルマで30分ほどの上富田町。ちょっと山のほうにでも
行けば、イノシシや野ウサギ、キジと遭遇するようなところです。そもそも僕も妻も音楽が大好きで、
ともに独身時代を過ごしていた京都では、よくライブ演奏を聴きに行ったりしたものですが、
このあたりにはライブハウスもありません。なかなかライブを楽しむ機会のない町の人たちと一緒に、
ナマの演奏を楽しみたい。自分たちの趣味の延長といえば延長なんですが、いっそのこと、
うちの店をライブ会場にしちゃえ。僕たちのそんな思いに、“ザッハトルテ”さんはじめ
ミュージシャンの方々が共鳴してくださり、“街のでんきやさんライブ”を始めることができました。
今回も60名を超えるお客さまで、立ち見がでるほどの大盛況。遠出することのままならない
お年寄りから、小さなお子さままで、多くの方々にお店ライブを楽しんでいただきました。
皆勤賞の道浦三佳さまは、5歳と3歳のお子さまとご一緒。「子供が小さいとコンサートにも
行けないし、毎年、楽しみにしているんです」と、今年はママ友を誘って来てくださいました。
岩本桂子さんは、「ナマの演奏に触れる機会なんてないものですから、感動しちゃって」。
お子さまがノリノリでリズムをとっていた小山雄希智さまご一家には「でんきやさんが、こんなに
楽しい場所だなんて」とおっしゃっていただき、この企画を始めてよかったと、しみじみ思いました。
ご出演いただいたミュージシャンの関島岳郎さんからは次のような言葉をいただきました。
「ライブは、お客さんとの直なコミュニケーション。最近はお買い物もインターネットで済む時代だけど、
街のでんきやさんでのお買い物は、人と人がコミュニケーションできるところがいいですね」。
実は、僕は和歌山の生まれではなく大分出身で、育った家庭も電器屋ではありません。
その僕がなぜ、街のでんきやを志したのか。それは大学時代に、街のでんきやさんのことを描いた
『幸福のスイッチ』という映画を観たことに始まります。もともと接客業につきたいと
思ってはいたのですが、いつもお客さまのことを思っている映画の主人公の姿に胸が熱くなり、
街のでんきやさんって、いい仕事だなと思ったのです。縁あってこの店に就職することができ、
その後、この店の長女である妻と結婚しました。でんきやになりたての頃は、まさに毎日が体当たり。
アンテナ工事にしたって、同じ現場はひとつとしてありませんし、お客さまがお求めになるものも
みな違う。失敗もしながら、ひとつひとつ学んできました。
そんななかで特に印象に残っているのは、91歳のおばあちゃんに補聴器をお世話したときのこと。
補聴器って高価な買い物なのに、なかなか使い方に慣れることができず、使うのをあきらめてしまう
お年寄りが多いんです。このおばあちゃんも、使い方をお教えしても、翌日伺うと、
きれいさっぱり忘れてる。またお教えしても、また忘れてる。そんなことの繰り返しだったのですが、
手描きのイラストで説明するなどの工夫を根気よく重ねたら、とうとうご自分でつけられるように。
「あんたの声がよう聞こえる」とおっしゃっていただいたときは、本当にうれしかったです。
うちの店は、僕で三代目。食品や雑貨を扱っていた店が、電器屋として発展してきました。
二代目である義父は、「自分のやりたいことに、どんどんチャレンジし、自分のスタイルの店を
つくればいい」と応援してくれていますが、「お客さまを裏切ったらいかん」と、
そのことだけはきつく言われています。
お客さま思いの姿勢は、「盆と正月以外、年中無休」にも表れているかと思います。
先代たちの、お客さま第一の姿勢は貫きながら、町の人たちのすぐ近くにいるからこそできることを、
もっともっと追求していきたい。この町が暮らしやすく、元気にあふれた町であるよう、
僕たちもお役に立っていきたいんです。
近くに住んでいるからこそ、地域の事や気候の事もよくわかってくれた上で、
最適なリフォームを提案します。
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