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  • 東北の街の元気屋になる。
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2021年1月撮影

  • 2018/10 宮城県気仙沼市 パナックささき
  • 2018/10 宮城県気仙沼市 パナックささき
  • うちの店はいま、「おおふなと夢商店街」にあります。プレハブの仮設ですが、店を再開することができ、ありがたいです。実は、あの状況のなかで奇跡的にも、店の看板が無傷で残っていて、これは電器屋を続けろということだなぁと思いました。駅も跡形もなく失われてしまった私たちの街ですが、この夢商店街の復興が大船渡の復興につながると信じ、いま、商店街の理事長を中心にみんなで、今後の街の在り方などを真剣に話し合っています。ほかの地域の仮設商店街と協力して、復興グルメF-1大会を催すなど、街の人たちに楽しんでもらうイベントも盛んです。みんな、何かと気の詰まる仮設住宅ぐらしですから、こういうひとときがホッとするんです。電器屋としては今後、太陽光発電の普及にしっかり取り組んでいきたいと思っています。さいわい、山手にある自宅は難を逃れることができましたので、自宅に太陽光発電も取り付けました。とにかく、いまが頑張りどき。のちに振り返ったとき、いまこのときが、人生の中でいちばん頑張った、と思えるようにしたい。いずれは、仮設ではなく、本店舗を構えたいですし。そのときは、電器屋仲間が見に来ると言ってくれています。

  • うちの店も津波にやられたんですが、一年ぐらいたって店舗を再建することができ、私たち夫婦と息子とで頑張っています。最初の一年目は、とにかく必死でしたね。すっかり姿を変えた街のなかを、お客さまのお宅の配線や電気製品の具合を確認しに回っていました。二年が過ぎようとするいま、街から瓦礫は取り除かれましたが、いまだ更地のまま。この先どうなるか、まだまだ見えない状態が続いています。いまは商店もポツンポツンと離れていることもあって、なかなか街も活気づかない。そこで、異業種のメンバーが集まり、何か一緒に協力しあい、街の活性化策を始められないかと相談しています。まず、自分たちが率先して元気にやっていくこと。それが、地域の復興につながればと思っています。

  • 震災から一年近くたった頃にオープンした、仮設の「南三陸さんさん商店街」で店を再開しています。震災直後は、店の名前が入ったトラックで、避難所に支援物資を運んでいたのですが、それをご覧になっていたのでしょうか、電気や水道が復旧した頃、私の避難先に電気工事や修理の依頼が相次ぐようになりまして。街の方々に必要とされていると感じ、ぜひそれにお応えしたいと、この仕事を続ける意欲がわきました。病院や役場などの公共施設にエアコンなどを取り付ける際には、町内の電器屋同士が協力して行いました。あれから二年たちましたが、なかなか進まない復興に、いま街の人たちの不安はつのる一方です。そんななかで、このプレハブ商店街は、ここに来れば誰かに会える、お話できると、あちこちバラバラになってしまった街のみんなの、心の拠り所になっています。私は商工会議所の会長も務めているんですが、今後の商店街再興など、みんなで協力して取り組んでいきたいですね。

  • 街から瓦礫はなくなりましたが、二年たっても、この先どうなるのか見えない状況が続いています。あの当時は、何とかしなきゃと必死でしたね。うちの店は失くなりましたが、住むところは何とか確保できましたので、パナソニックから届いた電池やラジオなどの支援物資を避難先のみなさんにお届けしたり、かろうじて家が残ったお客さまの住まいの再建をお手伝いしたり…。
    お客さまとは携帯電話で連絡をとりあったりしましたが、どこに避難されたか、お客さまの行き先もなかなか掴みにくい状況でした。その年の年末に、店があった場所のすぐ裏手に「気仙沼復興商店街」がオープンすることとなり、いまはそこで店をやっています。どこにいらっしゃるのかわからなかったお客さまが店に訪ねてきてくださったり、久しぶりに再会できてうれしかったですね。この先、なんとかみんなが元気になれるよう、街の電器屋として、お客さまのお困りごとにお応えしていきたいと思っています。

  • 自宅兼店舗も倉庫も在庫もトラックも、ほぼすべて失いました。でも私は、自分のいる地域にとても愛着があり、よその地区に移るという考えにはならなかったですね。同じように困っている地元の人たちと共に、街のことを考えていこうという思いでいっぱいです。私は民生委員も務めているのですが、ありがたいことに震災の年の12月、75坪もある建物を提供してくださった方がいらしゃいまして。自分の店を再開するとともに、そこに交番を設置してくれるよう提案しました。というのも当時、街は夜になっても灯りもないような状況でしたから、地元の人たちも何かと心細く、少しでも安心できたらと思ったのです。また、みんなが集まる場所もありませんでしたから、コミュニティスペースもつくりました。そこで、街の人たちがサークル活動ができるようにしたり、全国の有志の方のご協力のもと、絵本の図書館も備えることができました。また、ほかの地区からも中高生を集めてブラスバンド部を結成し、演奏会活動を行ったりもしています。この街の人たちがいま必要なのは、心のケアだと思うんです。いまだに先が見えない状況のなかで、みんなの心は疲れきっています。子供たちも、気持ちが不安定になっています。応援してくださる方も全国にいらっしゃいますし、街のみんなが前向きになっていけるよう、私自身も明るく生きていきます。

  • あの当時は、店の無残な姿に呆然自失。もう電器屋はできないかもしれない、という思いもよぎりました。ところが、瓦礫となった店を片付けていると、通りかかったお客さまが声をかけてくださるのです。「また店を始めるのを待っているよ」「店を再開したら、何か買うからね」。そんな言葉が心にしみ、励まされましたね。それに、お客さまデータが入っているUSBメモリが、錆びてはいるものの見つかり、なんとデータが生きていたんです。そんなこともあって、前向きな気持ちになることができ、いまは元の場所で店舗を再開しています。とはいえ、この街を離れたお客さまも多いですし、なかなか厳しい状況は続いています。でも、お客さま第一で、ひとつひとつ親身にやっていくのみ。街のみんなのお困りごとの改善と、この新地町の復興になんとか役立てるよう尽くしていきたいと思っています。

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