お客さまと店の間に“それぞれの物語”
Vol.78
新規オープンの話
開業する決意ができたのも、
お客さまの励ましが
あったからこそです。
北海道苫小牧市
とまでん クラシタ
倉下健次
50代も半ばになって、店をオープン。
まさか自分が開業するとは思っていませんでした。
うちの店は開業して、まだ2年とちょっと。それまでは、磯崎電機という街のでんきやに36年間勤めていました。
私はニセコ出身で、地元の高校を卒業後、札幌にある電波系の専門学校で学び、20歳のとき、苫小牧にある磯崎電機に就職しました。
なぜ、でんきやに就職したのか、思い返しても確たる理由があったわけではありません。
ただ、子どもの頃から、機械やバイクの修理をするのが好きでした。
磯崎電機はその当時5店舗をもつ、地域一番店ともいわれる大きな街のでんきやで、社長は苫小牧のでんきやさんたちから一目おかれるような存在。
親分肌で人柄はあたたかく、就職試験を受けに来た私に、「昼メシ、食べて帰れー」とラーメンをご馳走してくれました。
磯崎電機にお世話になることが決まったとき、「大きい店舗で働くのがいいか、小さい店舗がいいか?」と社長から尋ねられました。
私は、「小さいほうがいい」と即答。
自分が社交的でないことを自覚していましたし、なるべく個人的に動ける店がいいと思ったのです。
入社した当初の仕事は、チラシを手に、一軒一軒のお宅を原付バイクと足でご訪問すること。
社長からは、お客さまを親戚と思って話すようにと言われていたのですが、口下手な私にはなかなかキツかったですね。
最初の3カ月は売り上げもほとんど無いに等しかったのですが、5カ月目くらいから徐々に「コンセントを直してほしい」などと声がかかるようになり、10カ月目くらいには、お客さまがついてくださったと思えるようになりました。
いまでもお客さまからは「アンタはシャイなのか、“売る”という言葉が出てこんのがいい」と言われます。
磯崎電機の社長のことは尊敬していましたし、街のでんきやという仕事はとても自分の性に合っているように思い、ずっとここで勤めあげるつもりでいました。
ところが36年ほど経ったとき、社長がご病気になり、店を閉店せざるをえなくなったのです。
突然のことで、呆然としました。
これから、どうしたものか。他に職を探すか、ニセコの実家に戻って農業でもするか…。
しかし、まだ高校生の息子がいる…。あのときは途方にくれました。
「いままでの客を見捨てたらイカン。
この300万円を使って、店を開きなさい」と、あるお客さま。
今後の生活に途方にくれながらも、お世話になったお客さまのところに、閉店のご挨拶に回る毎日でした。
そんなとき、あるご高齢のお客さまから申し出があったんです。
「アンタ、いままでのお客さんのことを考えなさい。どれだけアンタを頼りにしていたか。ここに300万円ある。これを開店資金に使っていいから、でんきやを続けてほしい。私からの頼みじゃ」。
びっくりしました。
でも、同時に目が覚めました。自分には、これまで何かと自分を頼りにしてくださったお客さまたちがいる。
僭越なことかもしれないけれど、自分がこの仕事をやめてしまったら、お客さまたちはこれから誰を頼りにしていくのだろう。
ほかのお客さまも口々に、「アンタがでんきやを続けてくれればいいのに」と言ってくれました。
でんきやの仲間たちも相談にのってくれ、応援してくれました。
「よし、自分で開業しよう」。
みんなの励ましのもと、そんな決意を固めることができました。
こうして準備期間もわずかに、2015年4月1日、自分の店をオープン。
開店当日はまだシャッターも開く前から、お客さまがウロウロ。
「自分のことのように気になってー」と駆けつけてくれました。
本当にありがたいです。
「でんきやという仕事が好きでたまらんでしょ」
と妻に言われます。
開業してからは2年ほどですが、でんきや人生は40年近くになります。
その間、いろんなエピソードがあります。
お客さまのお宅を訪ねたとき、妊婦さんが急に産気づき、ご主人にも連絡がとれないなか、大慌てでクルマで病院にお送りしたことも。
いまでも「私の命の恩人はでんきやさん」と、そのときの思い出話になります。
命の恩人といえば、具合がわるそうなご高齢のお客さまのために、救急車を手配したことも。
かくいう私も、忘れもしない40歳のクリスマスイブ、朝目覚めたとき、どうも胸のあたりが締めつけられるように苦しい。
しばらくすると治ったので、軽トラックに乗ってお客さまのところにお届け物をすませ、その帰り、どうも胸のことが気になり病院に寄ったら、即入院。
心筋梗塞で、あと30分遅かったら危なかったと言われました。
店を開店して2カ月くらいのときに、隣の爆発事故の巻き添えで、開店早々の店舗の窓ガラスや天井が崩れ落ちるという災難も。
いろんなことがありましたが、ずっとでんきやをやっていられるのは、お客さまのおかげ。
そしていま、でんきやの仕事のことは何も知らなかった妻と、産休で休まれている續木さんと、量販店に勤務していたものの私のお客さまであった夏井さんが、スタッフとしてサポートしてくれているおかげだと思います。
妻は私のことを、「修理しているときの顔を見ると、このひとはでんきやになってよかったなぁ、と思う」と言っています。
お客さまのお話
うちのことに、うちより詳しいの。
倉下さんが、でんきやをやめたら困ってしまう。
荒井様
倉下さんとは、前のでんきやさんに勤めていた頃からの長い付き合いなんです。
「ちょっとー」と呼んだら、すぐ来てくれますし、うちのことは家族よりもわかっている。
この前も、乾電池を取り替えなければいけないとき、どこに乾電池があるかを知っているのは倉下さんだったと、娘が感心していました。
今日は照明を取り替えにきてくれたついでに、物置の合鍵をつくってくれるようお願いしました。
倉下さんがいないと、毎日の生活が困るわねぇ。
電気の主治医っていうのかしら、
夜でも駆けつけてくれるんです。
さいとう様
近くに倉下さんのお店ができたから、いろんなことをお願いしてるの。
何でも親身に聞いてくれるし、トラブルがあったときは夜でも来てくれます。
以前、他のでんきやさんで買ったテレビの修理もしてもらいました。
でんきやさんって家にあがるでしょ。
倉下さんとは安心できる人間関係があるわね。
商売を前面に出さないところも好き。
今日は買うつもりなかったのに、洗濯機を買っちゃいました。
お店の情報
- 名称
- とまでん クラシタ
- 住所
- 〒053-0034 北海道苫小牧市清水町2丁目2-9 店舗詳細を見る
- 電話番号
- 0144-82-7242
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