お客さまと店の間に“それぞれの物語”
Vol.100
一級建築士のいる店の話
一級建築士のスキルを生かした、
次代の街のでんきやとして、
101年目へと向かっています。
静岡県富士宮市
松屋電気商会
稲原研・朝美
電球1個から、耐震診断、家の新築まで。
一級建築士のスキルと、街のでんきやの対応力をひとつにして、
いろんなご相談ごとにお応えします。
稲原 研
意外な転身と思われるかもしれませんが、もともと私は大手ゼネコンで現場監督として勤務し、ビルの建設などに携わっていました。その私が街のでんきやになったのは、38歳のとき。ゼネコンでの仕事自体は、とてもやり甲斐を感じる好きな仕事なのですが、大きなビルの建設は環境面などで必ずしも周囲の人びとに歓迎されるとは限らず、ゼネコンでの仕事に将来的な不安を覚えるようになりました。また、現場から現場へと移動や転勤も多く、そろそろ家族と一緒に腰を落ち着けたいという思いもありました。
妻の実家は1919年(大正8年)から続く、街のでんきや。おそらく日本で最も古くからある電器店のひとつだと思います。彼女の曽祖父が創業し、彼女の両親が三代目として仕事を発展させていました。義父からは当時、「これからの街のでんきやはリフォームへの対応力が問われる時代だ」と聞いてもおり、私は、「一級建築士のいる、街のでんきや」はどうだろうかとピンときました。私は電気工事などに関しては全くの素人でしたが、建築士としての私のスキルと、街のでんきやならではの設備や電気工事に対するノウハウが合体すれば、お客さまにとっても、これまでにない価値が生まれると思ったのです。
家族とともに富士宮に移り住み、街のでんきやになって十四年近くになります。店の一角には、一級建築士事務所を構えました。電気工事士の資格を取り、配線や設置工事などは、義父や先輩から現場で教わりました。おかげさまで、一般の住宅から、医院、葬儀会館などの新築、旅館のリノベーションなど、いろいろなご依頼をいただくことができました。
顔の見えない相手とではなく、一人ひとりのお客さまとちゃんと顔を合わせて仕事ができるのは、本当にやり甲斐があります。建物の設計はできても、エアコンの設置場所とかコンセントの位置など、電気のことまできちんと考えることのできる設計士は案外少ないものですが、建物のことと電気のことをトータルで考えられるのが、私の強みかと思います。また、耐震診断士として、耐震補強のリフォームにもお応えできます。電球1個のことから家の新築まで、どんな段階の相談ごとも対応できる街のでんきやとして、地域のみなさまのお役に立っていきたいですね。
同世代のお母さんから、
子ども部屋についてのアドバイスを求められたりします。
気持ちの通い合った仕事で、お役に立ちたいですね。
稲原朝美
主人から、ゼネコンをやめて実家の仕事をしたいという相談があったときには、そりゃもちろん戸惑いました。えー、この人に、父のような仕事ができるのだろうかと。しかし、建築設計で培ってきたスキルを、街のでんきやという仕事のフィールドに生かしたいという、前向きな気持ちで考えたことでしたので、「ま、それも人生。チャレンジすればいいか」と、背中を押すことにしました。
私の人生も、それから大きく転換。それまで私は、でんきやの仕事を手伝ったことなどほとんどなく、大学入学と同時に実家を離れ、企業で働いていました。主人と息子と一緒に、富士宮での新生活。でんきやの仕事は、母や叔母を見習いながらイチから覚えました。
私が子どもの頃から親しくしていた開業医のお客さまは、「おー、よく帰ってきたね。朝美ちゃんのダンナの最初の仕事にしてあげるよ」とおっしゃって、クリニックの付属施設を新築する仕事をご依頼くださいました。建物と電気のことをトータルで考えていきたいという主人のスタンスが、こうして実現に向けて、いいスタートを切ることができました。ありがたいことです。
建築士としてパソコンに向かって設計している主人はまだしも、軽トラックに乗って冷蔵庫を配達したり、エアコンを設置している主人を見ると、いまでもちょっと不思議な気もします。でも、同世代のお母さん方から、「あんまり予算をかけずに、子ども部屋を作りたいけど、どうしたらいい?」なんてアドバイスを求められたりするときの主人はうれしそう。ゼネコン時代と違い、お客さまと顔を合わせながら、お客さまの思いをくみ取り、気持ちの通い合った仕事ができる現在の環境が、やはり主人には合っているのではないかと、私もうれしく思います。
今年、創業100周年を迎えることができました。
建築士というスキルを生かし、
新しい考え方で、次の歴史を拓いてくれると期待しています。
佐野皓三
ゼネコンをやめて、でんきやの仕事をしたいという相談があったときには、驚きました。私は反対したんです。何も安定した職業を捨てることはないんじゃないかと。私も家内も、私たちの代で店を閉じることになっても仕方ないと、腹をくくっていたんです。心配していましたが、こうして娘夫婦が店を継いでくれることになり、いまでは本当によかったと思っています。
この本町通り商店街は古くから続いていて、創業100年以上のお店も3軒ほどあります。うちの向かいの薬局は98年、お隣りの床屋さんは80年ぐらいかなぁ。うちも今年、創業100周年を迎えることができました。100年も前の祖父の時代から、この場所で地域の人びとの暮らしを見つめ続けてきたと思うと、感無量です。娘夫婦が継いでいなかったら、100周年という日を迎えることもできなかったかもしれません。先日は、創業100周年の感謝を込め、地元の方がたに何か恩返しをしたいと、健康長寿に役立つ「のどピコ体操コンサート」を開催しました。この週末は3日間にわたって「100周年大創業祭」を開き、大勢の方に楽しんでいただきました。
私たち世代はいずれ、引退する日を迎えます。いま、うちの店は、彼の一級建築士というスキルを生かすことで、お客さまへのお役に立ち方がどんどん広がっていると思います。彼ららしいやり方で、これまでの街のでんきやを超え、新しい価値をもつ新しい時代の、街のでんきやになってくれたらいい。お客さまを思う、根っこの気持ちは変わらない。でも、お客さまにできるサービスは、時代とともに変えていく。それが真の意味での、お客さまに寄り添うということだと、私は思います。
お客さまのお話
東日本大震災が起こる前のことでしたが、
水廻りのリフォームと同時に、
耐震補強工事もしてもらったんです。
佐野様
古くなったキッチンをリフォームしたいと相談した際、同時に耐震リフォームもすすめられました。地震については怖いとは思っていましたが、当時はまだ、耐震診断があるということも知りませんでした。
さっそく耐震診断をしてもらったところ、「補強要」の結果が出てしまいましたが、適切な耐震補強をしてもらい、安心して住める家になりました。あの大地震のときには、やっておいてよかったと、胸をなでおろしたものです。
キッチンも、コンセントの位置やクロスの組み合わせなど細かなところまで配慮したリフォームをしてもらい、毎日快適に過ごしております。
お店の情報
- 名称
- 松屋電気商会
- 住所
- 〒418-0066 富士宮市大宮町16―15店舗詳細を見る
- 電話番号
- 0544-26-3693
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