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お客さまと店の間に“それぞれの物語”

vol.27上五島を愛するでんきやさんの話

「上五島にはサービス拠点がないから、修理にはめっぽう強くなりましたね。」-父 石田敬一

私たちが住んでいるのは、五島列島の上五島。九州の西、長崎本土から高速船で1時間30分ほどのところで、江戸の昔の隠れキリシタンの島として有名です。うちの店は、私の父が当初は時計屋として開業したんですが、その後、電器屋になりました。私が生まれた昭和30年代はじめは人口も56,000人ほどあったんですが、いまは 21,700人ほど(2013年11月現在)。高校を卒業すると島を離れる人が多く、世帯数は昔とそんなに変わらないんですが、ひとりでお住まいのお年寄りの方が多くなりましたね。私もいったん島を出たんですが、30数年前に島に戻って電器屋を継ぎました。いまでこそ、ちょっと大きな量販店さんもできましたが、島の電化生活をサポートしているのは、主に私たちのような“街のでんきや”。まあ、“島のでんきや”といっても、そんなに特別変わったところもないとは思うんですが…。本土とちょっと違うところといえば、全ての運搬が船ですから、流通もちょっとだけ時間がかかり、商品や修理部品の発注締め切り時刻が本土より早いこと。それと上五島にはサービス拠点がありませんから、電気製品が故障したとき、本土に送ることになる。でも、それでは日数がかかってしまいますから、お客さまにご不便をおかけしないためにも、できるだけ自分のところで修理できるように腕を磨きました。だから、修理には自信があるんです。修理については ひょっとして、自分のところでするぶん、本土よりも早いんじゃないで しょうか。本土の量販店さんなどで買われたものでも、お困りでしょうから、ご依頼があれば修理させていただいています。

「うちのおふくろ、イシダの電話番号だけはわかっとる」と、島のお客さま。

お客さまにはお年寄りの方も多いですから、何かあるとすぐ、「ちょっと来てくれないか」とお電話がありますね。この渡辺さんちのおばあちゃんもそうなんですが、「ガスがつかない、すぐ来てほしい」とのことなので、クルマで30分ほどかかるんですが駆けつけると、お湯を沸騰させてガスコンロが濡れていただけ。故障じゃない故障で呼ばれることも、しょっちゅうですね。息子さんも、「うちのおふくろは他のことはわからんでも、なぜか、イシダの電話番号だけはわかっとる」と笑っていらっしゃいます。店にもよく顔を出してくださる本浦さんとは、父の代から45年ほどのお付き合い。上五島でいちばん早く大型テレビをご購入いただきましたし、ほとんどすべての電化製品をお世話させていただき、お宅のことは屋根裏から床下まで手にとるようにわかります。以前ホームカラオケを買っていただいたときは、島の方々を集めて大宴会。「イシダさんは、うちの長男、うちの家族」とおしゃっていただけるような間柄なんです。

「この島から、電器屋を失くさない。そんな思いで帰ってきました。」-息子 石田正嗣

僕、福岡の電器屋さんで修業していたんですが、今年、大学時代に出会った彼女と上五島に戻って結婚し、三代目として店で働いています。お客さまからは、「おー、息子がヨメと帰ってきた」と、孫のように可愛がられています。出歩くのにご不自由されているおじいちゃんやおばあちゃんも多いですから、乾電池1個でもお宅までお届けしてるんです。「ついでん時で、いいけんね」なんて言って、1日に2~3回電話があったりするんですけどね。まぁ、お話相手にもなってさしあげたいですし、代わりに買い物に行ったり、銀行までクルマに乗せて連れてさしあげたり、ホントの孫のように思っていただけたらと思うんです。うちの島、人口は減ってきていますし、今後は店じまいせざるをえない電器屋さんも出てくるかもしれない。でも、電器屋を絶やしてはいけない。そんな思いで帰ってきました。お売りした限り、ずっと面倒をみさせていただくのは僕らの務めですし、電器屋がなくなったら島の方々が困ります。 僕たち夫婦、“島のでんきや”として、この上五島で、父母そして島の方々と生きていきます。

「島のでんきやさん」から 島の人びとに寄り添って今日も頑張っている、でんきやさんがいます。

※ここでご紹介したサービスは、この店独自のものです。すべての店で行われているものではありません。

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