パナソニック・ホームパナソニックの店トップ > お客さまと店の間に“それぞれの物語” > 南三陸とともに生きる話(遊電館 志津川店)

お客さまと店の間に“それぞれの物語”

vol.51南三陸とともに生きる話

東日本大震災から4年半、唯一残った金看板に励まされ、ここまで来ました。

この店、仮設店舗なんです。ここ南三陸は、あの東日本大震災によって世帯数の8割ほどが家を失いまして。志津川駅付近にあった私の店も、津波に呑み込まれてしまいました。当時を振り返ると、呆然としながらも、無我夢中でした。ベイサイドアリーナという町の施設が1300人ほどの避難所になっていたんですが、電器屋をやっていて顔が広いということで、家族や知人の行方を捜し求める方たちの受付窓口を引き受けました。3月になっていたとはいえ、避難所はとにかく寒かったですね。停電していますから、支援物資の毛布やダンボールにくるまるしかなく、みなガタガタと震えていました。2~3日するとようやく、電力会社から高圧発電車がきて、変電設備につないで暖房ボイラーを運転できるようにしたり、情報が行き届くよう館内放送を復活させたり…。また、ヘリコプターの操縦資格を持っていましたので、道路が寸断されて孤立した地区に、空から衛星電話を届けたりもしました。自分が少しでも町のお役に立てるならと、そんな思いでいっぱいでした。震災から一カ月くらいは町の復旧に動き回っていたのですが、店のほうは店舗も倉庫も商品も顧客管理のパソコンも何もかも失い、ただ唯一残ったのが、建設業認可を記す金看板だけ。これからどうしたものか、さっぱり先が見えません。そんなとき、やはり甚大な被害をこうむった南三陸の事業所オーナーが、「お宅が店を続けてくれないと、うちの事業所も困る」とおっしゃってくださいまして。自分を必要としてくれる人がいる。そして金看板が奇跡的に残っていたのも、店を続けろという天命かと励まされ、ここまで歩んで来れました。

キャンピングトレーラーに寝泊まりしながら、町の復興をお手伝いしてきました。

この4年半は実にいろいろなことをしてきました。南三陸は交通インフラも大打撃を受け、気仙沼線、大船渡線の一部区間を鉄道に代わって、BRTというバス高速輸送システムを導入することになりました。私の店は、BRT各駅の運行表示モニターの設置に携わったのですが、夜遅く10時11時まで設置工事をし、疲れた身体で店にとんぼ返りし、また翌朝、遠くまで出かけるというわけにはいきません。そこでキャンピングトレーラーを購入し、ここに寝泊まりしながら設置工事を進めてきました。また、ハードの復興だけでなく、いまこそ、気持ちの復興が大事。そんな思いから、町の有志の方たちが立ち上げた“歌津復興夏祭まつり”を音響担当としてお手伝い。今年で3年目となるのですが、有名なミュージシャンもコンサートに出演してくださり、数千人もの町の方たちとともに夏の一日を楽しんでいます。また仮設住宅をまわって、有名な女優の方と一緒に歌う音楽会なども開いているのですが、音響担当としてボランティアで参加しています。

この町の将来を築いていくのは、子どもたち。今日は店で、ソーラーライト工作教室を開きました。

一瞬にしてあらゆるものを失った町ですが、この町の子どもたちは、この町の宝です。今日はたくさんの子どもたちを店に招き、太陽電池と蓄電池によるソーラーライトの工作教室を開きました。小学1年生から中学3年生まで、いまなお仮設住宅に暮らす子もいますが、どの子の表情もイキイキ。そんな子どもたちを見ていると、こちらの方が元気をもらいます。私の店ではパソコン教室も開いているのですが、全国大会でも優秀な成績をおさめる子がいるほど、みな頑張っているんです。南三陸町はほとんどの方が家を失っていますから、おかれた状況がみな同じようなもの。ひとりでクヨクヨしても仕方がない、みんなで何とかしようじゃないか。そんな前向きな意識が強いのかもしれません。ほかの地域へ出ていたけれど、震災を機に帰って来たという若者も増えているようで頼もしいです。復興への道のりはまだまだかもしれませんが、町の人たちとともに、愛すべき南三陸をつくっていくぞ、という気持ちでいっぱいです。

※ここでご紹介したサービスは、この店独自のものです。すべての店で行われているものではありません。

  • 松下幸之助は私たちの中に生きている パナソニック100年 あなたの街のでんきや物語 街を元気にプロジェクト著 PHP研究所出版
  • パナソニックの店のうたができました
  • 街の元気屋さん 街を元気にプロジェクト著 PHP研究所出版