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お客さまと店の間に“それぞれの物語”

vol.52町孝行を思う話

“売る”と“アフターケア”は別々。就職した店の、そんな商売のあり方に疑問をもち、街のでんきやをやっていこうと決意しました。

うちの店がある青森県今別町は、津軽半島の北端の町。店の裏手には津軽海峡が広がり、晴れた日には彼方に北海道がよく見えます。この町は青函トンネルの入口であり、昔、青函トンネルができた頃は事業所や商店が多く、町は大いに賑わっていたといいます。しかし、いまでは人口3000人弱。全国でもおそらく最も少子高齢化が進んだ町であり、若者の地元定着率も残念ながら最も低い方だといわれています。実は僕も中学卒業と同時に町を離れ、高校は青森市内、大学は東京へと進学し、その後、茨城県のホームセンターに就職しました。その頃は親父がやっていたでんきやを継ぐという気持ちはなかったんです。しかし、ホームセンターで働いているうちに、むくむくと疑問がわいてきました。その店は家電製品も扱っていたのですが、売ったらそれで終わり、アフターケアは他にまかせるという商売の形態でした。“売る”と“アフターケア”が別々というのが、僕としてはどうにも納得がいかなくて。うちの店では親父が、売ったあとあとまで責任をもってお世話させていただいていた。そういう姿勢の方が、僕はよほど尊敬できる。他の店の商売のあり方に接したことで、街のでんきやをやりたいという思いが固まりました。それで、ホームセンターを退職し、電器店経営の基礎知識やスキルを学べる「松下幸之助商学院」というでんきやさんの学校に入学しました。ここは全寮制で一年間、同期と寝起きを共にして学ぶ、人間形成の場でもあったのですが、そこで出会ったみなは、いまもかけがえのない仲間として切磋琢磨しあっています。

“たったこれだけのこと”、そんなささいなことを何とかしてあげられるのは、僕らだけだと思うんです。

親父の店を継ぐために故郷に戻ってきたときは、「おー、でんきやの息子が帰ってきたぞー」「わたしゃ、親父さんより、若い人の方がいいわ」と、子どもの頃から知っているお客さまたちが歓迎してくれて、うれしかったですね。電球がチカチカするというお電話があれば、すぐ取り替えに伺い、ついでに「ちょっと雑巾貸してー」と、手の届かない高いところをお掃除する。テレビの具合を見に行ったときには、そろそろリモコンの乾電池が切れるんじゃないかと、新しいのに交換しておく。「お客さまは、本当はほかにもやってほしいことがあるんじゃないか」といつも気にかけ、目を配るようにしています。ささいなことかもしれませんが、そんなささいなことに気づいて何とかしてあげられるのは、日頃からお客さまと親しく接している僕らだけ。ネット通販とかでしたら、こちらからお声をかけたり、気づいてさしあげることはできませんからね。直接、顔を合わせるからこそ、わざわざ頼むほどではないけれど、気になっていることを解決できるのだと思います。また、店の品揃えにも気を配り、例えばご年配の方の中には、いまでもカセットテープを聞きたいとのご要望が根強くあるので、昔ながらのラジカセも用意しています。

この町で生きていくことが、どこよりも幸せだと思える町にしたいんです。

ふつう電器屋さんは、家の中の配線工事などができる第二種電気工事士資格というのを持っていますが、僕は外線の引き込み工事などもできる、第一種電気工事士資格も取得しました。それはこの町に、若い電気工事屋さんがいないため。いずれ町から電気工事屋さんがいなくなってしまったら、ちょっとした電気工事もできない町になってしまう。そんな危惧もあって、僕が取得しました。町には商工会もあるのですが、青年部は農機具屋さん、工務店さん、板金屋さん、そして僕の4人だけ。ですが、今別町は2016年に開通予定の北海道新幹線の停車駅になることもあり、町を盛り上げようと頑張っています。過疎になっても、人と人が太いパイプで繋がっていれば、街のでんきやという仕事には未来があると思うし、町の人たちを元気にすることができる。実は二ヶ月前、やはりこの町で生まれ育った中学の後輩だった奥さんとの間に、子どもが生まれました。ここで生まれたことを幸せに思えるような町にしたい。それが、僕と奥さんの願いでもあるんです。

※ここでご紹介したサービスは、この店独自のものです。すべての店で行われているものではありません。

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