お客さまと店の間に“それぞれの物語”
vol.60地元愛の話
どんなときも、「お客さまにとって、よいことを!」新改築時など、コンセントの位置も現場でシビアに修正します。
うちの店は、私が二代目。私の片腕である弟夫婦と、“もうすぐ引退させてもらうわ”が口癖の家内、そして息子とでやっています。このあたりは農家の方など昔から住んでいらっしゃる方も多く、お互いに屋号で呼び合うような親しい間柄。親父のときからのお客さまも大勢いらっしゃいます。いまは、ピンポーンを鳴らしても、うかつにドアを開けるのが不安な時代。そんななかで私たちがお客さまのお宅を訪ねると、「ちょっと上がっていって」とお茶まで出してくださるし、修理のときは「このカギで勝手に入って直しといて」と言われることも。お客さまから頼りにされているのを感じます。それだけに、お客さまのことを第一に考えたいという思いが強いんです。新改築などの配線工事をすることも多いのですが、コンセントの位置など、実際の現場で変更した方がいいと気づくことがたびたびあります。そんなときは、「設計士さんの図面ではこうなっているけど、ドアがこちら側に開くなら、コンセントはあっちに変えた方がいいと思う」とか、「階段の下にもコンセントをつけておくと掃除などにも便利」とか、お客さまに提案するようにしています。住んでみて初めて不都合に気づくことがないよう、私たちがプロとして最善のことをしてさしあげたいんです。
店の前に置いたベンチは、通りがかりの人の休憩の場。町の消防団にも入っています。
ずっと以前から、うちの店の前にはベンチを置いています。店は線路脇にあって、駅に行く通り道になっているのですが、店から駅まででも10分近く。駅までの間に「途中、ちょっとひと休みしてくださいね」の気持ちをこめて置いたんです。幼稚園の送迎バスも近くに停まるのですが、お母さんたちがベンチでお喋りして寛いでいらっしゃる姿も見かけます。また息子は、町の消防団に入っています。私も以前、入っていました。ビジネスマンの方と違い、街のでんきやはほとんどいつも地元。いざという時に駆けつけることができますから。仕事以外でも地元のお役に立てるのは、うれしいですね。私はお祭りのときのお囃子も趣味で、祭りとなると血が騒ぎます。
私も息子も、「でんきやさんの学校」の卒業生。いま、実習生が泊まり込みの研修に来ています。
パナソニックには「松下幸之助商学院」という、でんきやさんのための学校があります。全寮制で一年間、でんきやとしての知識や技術を学ぶとともに、人格鍛錬の場でもあります。私も息子も、商学院の卒業生。私の時代には220人ほどが同期で、卒業して40年ほど経ちますが、いまだに付き合いが続いています。卒業生たちの絆は強く、大震災のときなど、困っている仲間たちに救援物資を届けに奔走。実は阪神淡路大震災のとき、うちの店のお客さまから、被災されたご実家にIH調理器を届けたいんだけど交通網が遮断されて送れない、というご相談がありました。商学院のネットワークによってお届けすることができ、あきらめかけていたお客さまからたいそう感激されました。商学院で学んだことは、自分の人生にとって本当によかったと思います。その恩返しの意味もあって、うちの店は、商学院生の実習や卒業生の研修を積極的にお引き受けしています。うちの家内など、いま実習に来ている竹下君のことも、「直輝くん、直輝くん」と呼んで、母親がわりです。まあ、まだ19歳ですからね。でも、若い彼らから、こういう考え方もあったのかと学ぶこともたくさんあるんです。
僕の家は、大阪の茨木市ででんきやをやっています。子どもの頃から親の仕事について行ったりしていたのですが、高校卒業時に進路を決めるとき、でんきやになりたいとの決意を固めました。こうして自分が本当にでんきやを仕事にするんだと思って実習していると、親がやっていることのすごさを感じます。家では物静かに見えた父も、仕事となるとスゴイんだ。これまで見えていなかった父の一面を見たように思い、本当に尊敬できるようになりました。僕はあまり人と喋るほうではなく、お客さまのお宅にフェアの招待状をお届けに伺ったときも、カミカミのご挨拶になってしまいました。実習先の息子さんは、商学院のちょっと先輩で、いろいろ相談もでき心強いです。奥さまはざっくばらんに話しかけてくださるのですが、そのなかにとても愛情を感じます。いま僕は、人とのコミュニケーションの大切さを学んでおり、将来はお客さまから気さくに話しかけられる、頼りにされるでんきやになりたいです。
※ここでご紹介したサービスは、この店独自のものです。すべての店で行われているものではありません。