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お客さまと店の間に“それぞれの物語”

vol.66お年寄りの元気力になる話

おじいちゃんやおばあちゃんと話すの、キライじゃないです。

気づいたら一日中、誰とも喋っていなかった。そんなお年寄りの話し相手になったりもします。

電球の交換や乾電池の入れ替えなどでお客さまのところに伺うと、「お茶でも飲んでってー」と引き留められることがよくあります。ひとり暮らしのお年寄りですと、誰とも喋らないまま一日が過ぎていた、そんなこともあると思うんです。「僕でよかったら一緒にお喋りしましょう」、そんな気持ちで、引き留められるまま、こたつに入ってみかんを食べながら、お年寄りのお話し相手になったりします。僕はおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に暮らしたことがないので、お年寄りとお話しするのは新鮮で、キライじゃないんです。僕が生まれる前の町の話を聞くのは興味深いですし、やっぱり年の功といいますか、教えられることが多いんです。

あるおばあちゃんは、カラオケがリハビリ。カラオケ用のCDをお持ちし、僕もお相手します。

お客さまのひとりに、80歳過ぎのおばあちゃんがいらっしゃるんですが、昨年までご病気で療養されていまして。ご自宅に戻られてからは、大好きなカラオケをするのがリハビリなんです。「次はこの曲を歌えるようになりたいから、カラオケ用のCDを買ってきてー」とよく頼まれます。CDをお持ちしてお宅に伺うと、僕も必ず一曲はお付き合いさせられるんです。熱唱するおばあちゃんを見ていると、お元気になられてよかったなぁと、胸が熱くなりますね。こういうことって、でんきやの仕事とは関係ないかもしれませんが、僕はお客さまが喜んでくださることなら、“何でも屋”でいいと思っているんです。この前は、修理で伺ったお客さまが風邪気味で、飼っていらっしゃる犬の散歩を頼まれまして。僕が散歩に連れていったんです。

僕がでんきやになったのは、東日本大震災の二カ月後。お客さまのために奔走する両親の姿を見て、決心しました。

うちの店は両親が創業した店で、僕は震災までは栃木県で別の仕事をしていました。震災があった3月11日は、ちょうど翌日に開催するパナソニックフェアの準備をしていたところで、大型テレビや冷蔵庫、洗濯機などを店内に所狭しと並べていたそうなんです。そこに、凄まじい地震。店のガラスは割れて飛び散り、商品は足の踏み場もないほど散乱して壊滅状態。僕は店の片付けを手伝うために帰ってきました。父と母は、お客さまのお宅の倒れたテレビアンテナを立て直したり、エコキュートを修理するために、町中を奔走する毎日。食糧も手に入らない状態が続いていたのですが、ちょうどフェアのプレゼント用に用意していたラーメンがあったので、お客さまのお宅にお配りして回っていました。自分の店のことより、お客さまのために駆け回る両親を見て、こういう仕事がしたいと、でんきやを継ぐ決心をしたんです。お客さまからは、「おー、兄ちゃんが帰ってきたんかぁ」と歓迎してくださって。いまでは、でんきやが天職かとも思います。

※ここでご紹介したサービスは、この店独自のものです。すべての店で行われているものではありません。

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