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お客さまと店の間に“それぞれの物語”

vol.74ガテン系でんきや女子の話

オシャレが大好き。でんきやは腕が逞しくなるのが、悩みのタネかなぁ。

オシャレが大好き。でんきやは腕が逞しくなるのが、悩みのタネかなぁ。

もちろん冷蔵庫だって運ぶし、屋根裏や床下で配線工事だってします。

「あれーっ、オンナのコが来たー」と驚かれることもあるんですが、大きな冷蔵庫だって男性と二人でお届けしています。軽がるというわけではありませんが、470ℓくらいまでだったら平気。重いものを持つと、ひじから下の筋肉が逞しくなっちゃうんですよ。洋服が大好きだから、それが悩みといえば悩み。うちの店は街路灯のメンテナンスもしているのですが、何メートルもあるハシゴを上って蛍光灯を交換するのはもっぱら私で、下でハシゴを支えているのが、社長である父。通りがかった町の人は「逆やろー」とからかいますが、何でもできるようになれという社長の親心かなぁと思っています。友だちは見慣れたもので、「昨日、ハシゴ上っとったやろー」と、当たり前のことのように言います。エアコンの設置も、社長とペアを組んで取り付けることが多いですね。屋根裏に上って配線工事をするときも、上って作業するのは私で、社長は下から電線を送る役目。私は「松下幸之助商学院」というでんきやさんの学校で学び、第二種電気工事士の資格を取得したのですが、初めて実際の現場を任せられることになったときは、やはりドキドキ。プロとしてちゃんとした工事をやろうと身が引きしまりました。エアコンを別の場所に移動してほしいというご依頼があったときは、ほふく前進することもできないような狭い屋根裏空間で配線作業をしなければならず、どうやってコードを通していけばいいのか頭を抱えてしまいましたが、そういう経験を積むうちに、いまではどのような現場でも対応できる自信がついてきました。でも、ニガテなこともあるんです。屋根裏や床下で作業をしていると、とんでもないものに遭遇することがありまして。柱に、見たこともないゲジゲジみたいな虫がへばりついていたときは、悲鳴をあげそうになりながらスマホで写真を撮り、下にいる社長に「刺されたら死ぬ?」と聞いてしまいました。大きなハチの巣があったときは、お客さまに取ってと頼まれ、中にハチがいないことを確認したものの、おっかなびっくりで取り除きました。

高二まではグランドスタッフを目指していた私、街のでんきやさんで働く女性の先輩に刺激を受けました。

学生時代は空港のグランドスタッフに憧れ、英語やパソコンの勉強に力を入れていました。それが高校二年生の進路面談のとき、父が突然「でんきやという選択肢もあるよ」と言いだして。うちの店は、私を可愛がってくれた祖父が創業し、父母が力を合わせて守ってきたでんきや。父はそれまで言い出せなかったけど、街のでんきやを継いでほしいと願っていたのだと思います。私も、好きだったお祖父ちゃんがつくった店がいつか無くなるのは忍びなくて。でも、でんきやという仕事が、自分にできる仕事なのかどうかわからない。それで高校卒業後、全寮制の「松下幸之助商学院」で約一年間、学ばせてもらいました。生徒は男性30人、女性は私以外にもう一人。最初の一週間は味噌汁の味も違うしキツかったけど、あとはもう同期の仲間たちと切磋琢磨しながら本当に楽しい日々でした。商学院を終業すると、実家に戻る前に、福岡にある街のでんきやさんで二年間働きました。このお店は若い従業員さんが10人近くもいらっしゃるお店で、自主的に仕事に取り組むことのできる環境。先輩に女性がいらしたのですが、この方が設置工事も営業もPOPなどの販促活動も何でもバリバリとこなす、すごい人。女性もここまでできるんだと、力強く背中を押されました。私も手作りチラシを工夫して訪問活動に取り組んだところ、私のチラシを見たという方から、家の照明をLEDに替えたいというお電話をいただいて。お電話から30分ほどで、どんな疑問にもすべてお答えできるようLEDのことを調べあげ、提案書をつくってお客さまのもとに駆けつけました。「おまえは新人だけど、お客さまから見たらプロだよ」という社長さんの言葉を胸に秘め、緊張しながらご提案したところ、高額なご依頼をいただくことができました。そのときはまだ、入社3週間たらず。「でんきやさんとしてやっていこう」という自信にもなりましたし、「いや、やらなきゃならない」と決意することができました。実家の山口電気商店に戻って仕事をするようになって、いま4年目。ある夏の夕方、エアコン工事が立て込んで大忙しだったとき、汗だくで化粧もすっかりとれ、タオルを頭から被って軽トラックを運転する私を見て、「あの娘、やるねー」と言ってくださった方は、それ以来、「はるかちゃんのファンだから」とお客さまになってくださいました。

大村湾に沈む夕陽は、最高にキレイ!この町を愛しています。

私が暮らす長崎県東彼杵は、大村湾に面した町。JR大村線の千綿駅は海と一体化するようにホームがあり、そこから眺める夕景はぜひみんなに味わってほしいほど素敵なんです。地元でありながら飽きもせず、休日は友だちと訪れています。そのあとは“Sorriso risoソリッソリッソ”という、オシャレなカフェのあるお店でおしゃべりするのが、お決まりのコース。このお店は、まちづくりプロジェクトのひとつとして、空き家になっていた米倉庫を改装してつくられた、店舗兼コミュニティスペースのようなところ。プロジェクトリーダーの方のご依頼で、冷蔵庫やエアコン、オーブンレンジなどを取り付けさせていただきました。いま、東彼杵の町は、若い人たちが町の活性化に取り組んでいて、私も青年部に入って微力ながらお手伝い。地元の商店街で、“100縁翔店街”と銘打った、100円商品で人がつながるイベントを開催しているのですが、私も趣味のハンドメイドのアクセサリーを出品したりしています。地元には友だちもたくさんいますし、とにかく生まれ育った東彼杵が大好きなんです。

はるかさんの、思いのこもった仕事ぶりを見て、この町のキーパーソンになる一人だと思いました。 ——森一峻様

僕は“Re+プロジェクト”と称して、地元である東彼杵に住む人たちがイキイキと元気に暮らせるような環境づくりを考えています。Reというのはリターンであったりリノベーションであったり、いろいろな意味を含んでいますが、プロジェクトのひとつが、小売店を復興していこうという活動。実は僕の実家は酒屋だったのですが、時代のすう勢か店を閉めざるをえなくなって残念な思いをしました。若い人たちが、田舎といわれるようなところでも、前向きに小売業に取り組むことができれば、町もみんなも幸せになれるんじゃないか。そんな思いで、使われなくなった米倉庫をみんなの手でリノベーションし、“Sorriso risoソリッソリッソ”と名づけた複合施設をつくりました。“Re=再び“をテーマにコーヒーショップ、アンティーク家具雑貨店、革細工店などが集うとともに、地元の生産者さんがつくったお米やお茶、味噌やいちご、お母さんたちが手作りしたお菓子などを販売。まもなく近くにパン屋さんもできる予定です。この施設に必要なエアコン、冷蔵庫、オーブンレンジなどを導入するときに思ったのが、ここの空気感を肌で感じとってもらえる人にこそ、設備を提案してほしいということ。そのためには、量販店ではダメ。施設も成長していきますし、人と人との継続的な付き合いがしたかったので、街のでんきやさんである、はるかさんに提案をお願いしました。僕が忙しくて直接、提案を受けられないときは、「本当は自分の口でご説明したいけど」とおっしゃりながら、自分の考えをていねいに記した資料を届けてくれました。はるかさんには、この人にお願いしたくなる何かがあると思います。僕は、町づくりというより、人づくりが第一だと思っているのですが、熱い思いのこもった仕事をしてくれるはるかさんは、この町の若きキーパーソンの一人だと思います。

※ここでご紹介したサービスは、この店独自のものです。すべての店で行われているものではありません。

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  • パナソニックの店のうたができました
  • 街の元気屋さん 街を元気にプロジェクト著 PHP研究所出版